無伴奏ヴァイオリン〜パルティータ編〜

◇ J.S.バッハ:パルティータ 第1番 BWV1002

バッハ「無伴奏全六曲」を通じてもっとも演奏されることが稀な一曲。4つの舞曲を骨格とし、それぞれの舞曲にドゥーブルと名付けられた変奏がつくという、例を見ない実験音楽ともとれる構成である。

長年、この曲は私にとって真剣に取り組んでも、どこか理解不能な存在だった。今回もロ短調という割りきれない少しごつごつとしたような響きや、舞曲のステップをキーワードにして解明しようとしてみたが、有効ではあったが決定打ではなかった。最近、ピアノの為に書かれた「パルティータ」に着目し、その多声音楽が第一楽章アルマンドと共通しているのに気がついた。バッハは壮大な計画でパルティータを書きはじめ、それは単旋律楽器ヴァイオリンには過酷な多声音楽となったのではないだろうか。それで、その内容をそのままにハーモニーを単旋律にばらし、ヴァイオリンの特性を活かしたスピード感のあるドゥーブルを作ったのではないか、そしてそれを4楽章全てに貫いたのではないだろうか。このアプローチであれば、この八分音符や十六分音符の羅列から、立体を掘り出すことは可能だ。

バッハはここで自分の限界に挑戦し、一般人が一度聴くだけでは理解出来ないような、パズルのような創作となった。だからこの曲には削りたてのような、独特のざらざら感が残っているのではないか。

劇的な第一楽章アルマンド、第二楽章のクーラントは、速い舞曲。ロマンティックな第三楽章サラバンド、個性的な第四楽章ブーレ。そしてより抽象化され単旋律となったそれぞれのドゥーブルが、音空間を現在進行形で拡げてゆく。第二楽章のクーラントはこの曲自体にドゥーブルの要素が強い。このドゥーブルはバッハには珍しい最速の速度表記プレストが書きこみ、コンセプトを成立させている。

◇ J.S.バッハ:パルティータ 第2番 BWV1004

この曲最終曲のクライマックスにあの有名な「シャコンヌ」がくる。「無伴奏全六曲」の中心で、キリストの受難が人類の救済へと向かうかのような、ターニングポイントでもあるこの曲は、ヴァイオリン一本で表現しうる音楽としての最高峰であろう。

まず第一楽章からアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグと王道の4つの舞曲でこのパルティータは起承転結し、充分な内容を語る。それから長大な第五楽章シャコンヌがやってくる。シャコンヌのテーマに続く30の変奏。それまでの四舞曲をのみこみ、うねり、ふりまわし、私たちを希望も運命も永遠をも予感させる次元に連れて行く。ニ短調は、ヴァイオリンの能力を余すことなく表現できる調性でもある。この曲の後半、ついに短調で貫かれてきた無伴奏曲は、長調に転じる。この曲を前にして、私達は音楽の創造性に畏敬の念を抱かずにはいられない。

全6曲中、最もロマンティックで人間的なこの曲は、「キリストの受難」を表現しているかもしれない。

◇ J.S.バッハ:パルティータ 第3番 BWV1006

劇的なシャコンヌの後は、限りなく明るいホ長調が訪れる。

バッハには「イタリア風」といわれる喜びと明るさに満ちたトーンの曲があり、どの曲も人気がある。私は数年前、バッハのオルガン曲のコンサートで接した「イタリア風」の曲を聴いて、はっとした。その瞬間、この第3番のスタイルが、明確になった気がした。

パルティータ第1番と対極にあるようなこの第3番は、明快で少し硬質な透明感のある響きが全曲を支配する。光の万華鏡のような前奏曲に続き、優雅で孤独なルーレ、愛らしい有名なガヴォット、民謡風メヌエット二つと完成度の高い舞曲が天国的な世界を繰り広げる。そしてここからプロローグとなり、少しづつ夢から覚めて現実に戻ってくるブーレ、語り尽くした後の後奏のようなジーグで終わる。不純物のない結晶体のような調和に満ちたこのパルティータで、私たちは上へ上へと運ばれ、浄化されてゆく。

 

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