プログラムノート/9/18(日)7pm東京文化(小)三戸素子Vnリサイタル

プログラムノート/9/18(日)7pm東京文化(小)三戸素子Vnリサイタル

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L.v.ベートーヴェン(1770-1827):ソナタ第3番 変ホ長調 作品12-3

ウィーンに出てきて間もない22歳のベートーヴェンは、早速この町の大物サリエリに教えを請い、彼にヴァイオリンソナタを3曲献呈しました。このソナタはその中の一曲です。

体力のあった当時の作曲家は、ソナタもたった一曲作るのではなく、6曲あるいは3曲セットにして発表したものでした。そして、その3曲の順番も起承転結にこだわったのです。ベートーヴェンは先ず、第1番にウィーンの多くの人に受け入れられるような、そして得意の変奏曲を中間楽章にしたソナタを、第2番にコンパクトな作りのソナタを配置しています。そして野心家の彼は、自分が演奏するピアノが華麗に活躍するソナタを最後の第3番に据えるのです。

コンパクトだった第2番のあと、第3番は第1楽章冒頭からピアノのアルペジオでスケールの大きな世界が開けます。優雅な変ホ長調は、彼の大好きな劇的で激しいハ短調と表裏一体の調性です。当時のピアノ、フォルテピアノを自在に操るベートーヴェンが浮かんでくるようです。第2楽章は美しい歌曲。第3楽章は2拍子の軽快な楽章で、作曲技術を証明するフーガも途中で顔を出します。ウィーンの人々にアピールしようとする一曲です。


シューベルト(1797-1828):ソナチネ ト短調 作品137-3

シューベルトはもっともウィーンらしい作曲家の一人と言えるでしょう。彼はどんなメロディーにも、悲しくも明るくも七色の伴奏をつけることのできる天才でした。短い音節にすら三つも四つも色彩の可能性を見出してしまうのです。そんな割り切れなさを持つ音楽は、ウィーンっ子の気質でもあり、貴族社会から市民社会へ移行する当時の不安な時代と重なります。彼のその才能は長所であり、短所でもありました。彼が大作をものにしようとすると、際限なく変化させたくなってしまい、その曲は限りなく長く、まとめるのが大変になってしまうのです。

このソナチネはシューベルト19才の時の作品ですが、ハイドンやベートーヴェンの整然とした構成をお手本にしたのか、主題も展開部もコンパクトにまとまっており、それでも光と影の七色の魅力満載で、とても完成度の高い美しい曲に仕上がっています。音域も「ソナチネ」という小規模性を意識したのか限られた3オクターブ程の中に納まっています。本日演奏するト短調の第1楽章はドラマティックなユニゾンで始まり、胸を締め付けられるようなメロディーが続きます。第2楽章はゆったりとしたベートーヴェン風の叙情的な楽章、第3楽章はハイドン的なスケルツォ風のメヌエットに中間部分はシューベルト得意の歌曲、第4楽章は異国情緒のトルコ風。


W.A.モーツァルト(1756-1791):未完のソナタ ハ長調 KV403(385c)よりアレグロ モデラート

研究されるたびに、その作曲のいきさつや作曲年が26才とも28才とも諸説出現して、未だ未知の部分が多いこの未完のソナタ。第2楽章の途中で終わっていて、現在シュタードラーによる補筆完成版がありますが、演奏されることはありません。その第1楽章は個性的で素敵な楽章。その個性の強さゆえに、楽章はやはり続けるのは難しく、事実次の楽章は変則的な形式で、推敲されることもなく中断しているような感じを受けます。

私は以前、モーツァルトのソナタ全曲を勉強した際、残されている断片もすべてひととおりかじってみました。その中で印象に残ったのがこのアレグロ・モデラートです。補筆完成版を全曲演奏する気にはなれませんが、この楽章は単独でよい間奏曲になるだろうと思っていました。そのアイデアが実現できて嬉しいです。モーツァルトが妻コンスタンツェのピアノと一緒に弾くために作ったとも言われています。


R.シュトラウス(1864-1949):ソナタ 変ホ長調 作品18

R.シュトラウス20代前半の作品。ミュンヘン生まれのドイツ人作曲家で、ウィーンのワルツ王とは全く関係はありません。そのドイツ人作曲家のソナタを、なぜ今回ウィーンの香りをテーマにしたプログラムのメイン曲として、真っ先に思いついたのか、考えてみれば不思議です。でもその理由はすぐに思い当たります。R.シュトラウスはドイツロマン主義まっただ中の19世紀半ばに生まれ、激動の20世紀前半を生きました。甘美な後期ロマン派の音楽は世間では12音音楽や現代音楽に取って代わられましたが、かれは後期ロマン派の世紀末的な美しさを生涯持ち続けました。彼にとって後期ロマン派より美しいものは結局現れなかったのかもしれません。ウィーンという街はいまだにその精神を色濃く残し、古き良き時代の名残りを強く感じます。彼の代表作のオペラ「ばらの騎士」はウィーンの雰囲気にぴったりで、私はこのオペラをミュンヘンやザルツブルク音楽祭でも観ましたが、ウィーンの歌劇場で観たとき一番納得することができました。オペラの終わりに近づくにつれ、「この美しいものがもうすぐ終わる。そしてこんなに美しい『ばらの騎士』はもう生涯私の前には現れないに違いない。」という寂しさに包まれたのです。

私が当時のピアノのパートナーだったE.フリーザー教授の勧めで、このソナタを初めて演奏したのは20代の時で、まだほとんどこの曲はしられていませんでした。その時複雑に重なり合った音の響かせ方がわからず、どうしても現代音楽のように音が鋭くぶつかってしまい、課題を感じました。経験を積み、イメージ力も広がった今は、特別の充満したような響の存在がわかりるようになってきました。この音楽はかつての栄光を夢に残したウィーンの空気そのものだと思います。

第1楽章は公爵夫人が目覚めた一日の始まりのようです。第2楽章は美しいアリアで、中間部分は迫り来る戦争の不安でしょうか、その後の非現実の中の夢のような美しさが、この曲の白眉と思います。第3楽章は勇者の帰還のような力強さに満ちています。