ショスタコーヴィッチ : 弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 作品49

 ショスタコーヴィッチ : 弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 作品49

 ショスタコーヴィッチ :
弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 作品49

「なにしろ四重奏曲は、一番難しいジャンルのひとつなのだから。」

これは弦楽四重奏曲に対して、ショスタコーヴィチがかねてから思っていたことである。彼はこのように、弦楽四重奏曲に敷居の高さを感じており、それゆえに代表作の一つであるあの交響曲第5番を書いて、ソヴィエト当局の批判から名誉回復を果たしたこの時期まで、手がけなかったのであり、またこの時期だからこそ手がけたのであろう。32歳の彼のその「弦楽四重奏曲初心者」のぎこちなさが、この第1番には垣間見え興味深い。

第1楽章ではまだなんとなく交響曲との折り合いがつかず、「室内楽風」の優しげなテーマで曲を書き始め、盛り上がってくるとたった弦楽器4本しかないのにもかかわらず、大オーケストラのように楽器を減らしたり足したりする手法を使ってみている。第2楽章は、四重唱の歌曲のように書いてみたのであろう、4つの楽器はうまく機能し始める。ヴィオラから始まるロシアの哀歌のようなテーマは、ソヴィエト政権かの孤独のように聴こえ、途中の憧れを持って夢想する美しいメロディーに変化する。その夢は叫びと共に冷徹な現実に引き戻される。第3楽章はコンパクトにまとまったスケルツォ。第4楽章はもうすっかり弦楽四重奏の手法を自分のものにして、交響曲のようにスケールを大きく、交響曲第5番のように高らかに展開する。

こうして彼は僅かの間に、オーケストラから贅肉をそぎ落とし、しかし表現をするのに充分な弦楽四重奏曲というジャンルをマスターしたのだった。

のちに彼は自ら述懐する。「この仕事は私を熱中させた。そして衆目の見るところ、喜びにあふれた、楽しい、叙情的なものができた。私はそれを〈春の曲〉と名付けた。」

こうしてショスタコーヴィチの晩年まで続く、全15曲の弦楽四重奏の創作世界は幕を開けたのである、